コラム 回顧録…懐かしき思い出 Column

回顧録…懐かしき思い出

本間牧子よる、自身の半生、三郎との出会いから教室の成り立ちまでを綴ったコラム。

若き日の本間三郎

フラメンコとの出会い

第1期フラメンコブームの頃、高校生になったばかりの私、ギターに魅せられて部活もギターアンサンブル部。毎日毎日ギター練習の日々。ある日先輩がフラメンコギターを弾き始め、あまりにも衝撃的でかっこ良く情熱的な音色にどうしようもなく惹き込まれていきました。
そんな時、サラ・レサーナフラメンコ舞踊団と日本のフラメンコとのコラボ公演があるというので部活の皆でチケットを買って観に行くことに!!!
そしてこの公演で初めて観た日本人の男性舞踊手・本間三郎。噂は聞いていたけど…なんてかっこいいーー!!!
一目惚れ (苦笑)
フラメンコやりたーい!!

赤い糸

先輩にフラメンコギターを習い、踊り伴奏も勉強してみたら良いよ!
本間三郎のところに行きなさい、ギターも教えてくれるから。と言われ、ビックリドキドキ緊張!
初めてスタジオに尋ねた私 21歳。
ギターを弾きながら、
また三郎に勧められ踊りも習い始めたのでした~22歳

若き日の本間牧子
踊る本間牧子

三郎の店カルメン(タブラオ)、新宿に開店

私、踊り手としてデビューすることになり!
うそでしょー!!
まだセビジャーナスとタンギージョと?ルンバ?しか踊れない!覚えたばっかりなのに…カルミーナという名前をいただきました。カルメンちゃんというところでしょうか…本番で勉強しろ命令笑 23歳
いろいろなこと多々あり!お客さまの接待、ウエイトレス、おつまみ作り。本番での失敗、恥が経験となりそして温かく見守ってくれたお客様のおかげで成長できた気がいたします。

そしてもうひとつ、夜更けになるとエルフラメンコ(現ガルロチ) のアーティストたちが立ち寄り、集い、仕事帰りに心休める場所でもあったのかな…と思いました。
トーマス・デ・マドリー、マノレーテ一族、クリスティーナ・オヨス、ホセ・ミゲル、
ギタリストではルイス・アビチュエラ、アントニオ・ソレラ、アントニオ・ゴンザレス、
カンタオーラではチャケトン
店は閉店後、朝までフェスタ!!
すごーい、なんという贅沢な時間。
そして一度ホアン・マジャが訪ねて来てくれたこと。ビックリ!感激。
本間三郎に会いに皆が人が集まって来た、そんな場所だった気がいたします。

スタジオ・本間三郎フラメンコ舞踊研究所設立

フラメンコ専門スタジオがまだあまりなかった頃なので、多くの踊り手の方々が練習やレッスンにも使用してくれました。
エバ・ジェルバブエナ、メルチェ・エスメラルダ、マノレーテも来てくれました。
それぞれの個性とペースを大切にしたレッスン、そして人が集まるのが大好きな三郎。ペーニャ、スタジオパーティーを開催、たくさんのフラメンコファン、プロもアマも、ギター、カンテ、バイレ、その道を目指す仲間たち、皆一緒に、やっぱり朝までフェスタ!!今となっては懐かしく思い出されます。

騒音と酔っぱらいで大迷惑したのが…静香さんでした。(苦笑)
やがてスタジオ名が本間三郎・牧子フラメンコ舞踊研究所になりました。
どうやら三郎さんに認めていただけたようです~。

本間夫妻